こんにちは。
みなさんレインボーフラッグというものをご存知でしょうか?
これは6色(赤、橙、黄、緑、青、紫)で構成された旗で、いわゆるLGBTの尊厳とLGBTの社会運動を象徴する旗として広く知られています。
LGBTとは・・レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の各語の頭文字をとった表現です。
本記事はレインボーフラッグの生みの親であるアメリカの芸術家ギルバート・ベイカーについて、どのような人生を歩んできたのか、また、レインボーフラッグに込められた想いを記していきます。
ギルバート・ベイカーの生涯
ギルバート・ベイカー(Gilbert Baker)は、1951年にアメリカのカンザス州で生まれました。
彼は1970年から1972年にかけて、当時ゲイの人権運動が盛んであったサンフランシスコに米軍として駐留し、名誉除隊の後に独学で裁縫を学び始めました。
それをゲイの権利と反戦デモ行進のための象徴(旗)を作成するために生かしましたが、同性愛への理解のない70年代、ゲイパレードへの参加も命がけでした。
その時に、アメリカ史上初めてゲイであることを公言して市会議員に当選したハーヴェイ・ミルクという政治家と出会い、1978年、ハーヴェイ・ミルクに依頼されて、LGBTの象徴であるレインボーフラッグを考案しました。
しかしこの後ハーヴェイ・ミルクは何者かに暗殺されてしまいます。
翌年1979年にはパラマウント・フラッグ・カンパニーという会社で働き始め、中国首相、フランス大統領、ベネズエラ、フィリピン、スペイン王など多くの著名な方のイベントで使われる装飾をデザインし続けました。
1994年、ベイカーはニューヨークに移り、1969年に起こったストーンウォールの反乱(同性愛者らの権利獲得運動の転換点と言われています。)の25周年に向けて当時世界最大のレインボーフラッグを制作します。
それから2000年、イタリアのローマでレインボーフラッグを祝う展覧会を行い、翌々年2002年はニューヨークゲイコミュニティセンター、サンフランシスコ公共図書館、サンフランシスコLGBTコミュニティセンターで180点もの作品を展示し、8万人以上来場する大規模な展覧会になりました。
2003年にはレインボーフラッグの制作25周年の記念イベントとして大西洋からキーウェストを超えてメキシコ湾までを繋ぐ巨大な旗を制作して、イベント後に旗は細かく切り分けられて、世界100以上の都市に送られました。
その後もベイカーは、世界中の大小さまざまな都市で、レインボーフラッグとLGBTの歴史についてスピーチと講演を精力的に行いました。
しかし2017年3月30日、65歳の時にエイズでなくなりました。
レインボーフラッグの色の意味
レインボーフラッグは誕生した当時は8色でした。
しかしLGBTの運動が世界中に広がったことで、大量の旗が必要になり、調達しにくい色が減り、今の6色になりました。
当初の8色は
ピンク:sexuality(セクシャリティ)
赤:life(生命)
橙:healing(癒し)
黄:sunlight(太陽)
緑:nature(自然)
ターコイズ:magic/art(芸術)
藍:serenity/harmony(平穏/調和)
紫:spirit(精神)
と、それぞれが意味を持っています。
ギルバート・ベイカーは、LGBTだけでない「人間の多様性を守ること」という思いを込め、デザインしたとされています。
色の一つ一つが意味を持っていて、
みんなちがって、みんないい。
一人一人の理解がよりよい世界を作っていくのですね。